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人生朝露

人生朝露

マトリックスと禅と荘子。

荘子です。
荘子です。

『Matrix』(1999)。
前回のつづき。

参照:マトリックスと荘子 その1。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005053/

white room matrix.
『Matrix』といえば、このシーン。再びプラグを差し込まれて仮想空間の世界に侵入したネオに、モーフィアスがマトリックスの世界を示します。

参照:Matrix 'desert of the real'
http://www.youtube.com/watch?v=tgBViHeiSKM

the matrix morpheus.
What is "real"? How do you define "real"?
→「現実」とは何か?君は現実をどのように定義するのだ?
If real is what you can feel, smell, taste and see, then 'real' is simply electrical signals interpreted by your brain.
→もし、嗅いだり、味わったり、見たり、感じることを「現実」とするならば、「現実」とは君の脳による電気信号の解釈にすぎない。

これは、「胡蝶の夢」の一側面を突いています。
「夢の中で胡蝶になった荘周」と「現実における荘周」とは、「荘周の脳」においては同じ電気信号として処理されているわけで、区別がつかないということですね。

the matrix morpheus.
You've been living in a dream world, Neo.
→君は今まで夢の世界にいたのだ、ネオ。

Zhuangzi
「夢飲酒者、旦而哭泣。夢哭泣者、旦而田獵。方其夢也、不知其夢也。夢之中又占其夢焉、覺而後知其夢也。且有大覺而後知此其大夢也、而愚者自以為覺、竊竊然知之。君乎、牧乎、固哉。丘也與女、皆夢也、予謂女夢、亦夢也。」(『荘子』斉物論 第二)
→夢の中で酒を飲んでいた者が、目覚めてから「あれは夢だったのか」と泣いた。夢の中で泣いていた者が、夢のことを忘れてさっさと狩りに行ってしまった。夢の中ではそれが夢であることはわからず、夢の中で夢占いをする人すらある。目が覚めてから、ああ、あれは夢だったのかと気付くものだ。大いなる目覚めがあってこそ、大いなる夢の存在に気付く。愚か者は自ら目覚めたとは大はしゃぎして、あの人は立派だ、あの人はつまらないなどとまくし立てているが、孔子だって、あなただって、皆、夢の中にいるのだ。そういう私ですら、また、夢の中にいるのだがね。

Zhuangzi
『山林與。奉壌與。使我欣欣然而樂與。樂未畢也、哀又継之。哀樂之來、吾不能禦、其去弗能止。悲夫。世人直為物逆旅耳。』(『荘子』知北遊 第二十二)
→山林に入り、草原を逍遥すれば、美しい景色に心を奪われ、楽しい心持ちになるが、その気分がおさまらないうちに哀しい気分が湧き起こってくる。その変化を留める事もできない。悲しむべきことだ。世の人々は、外物の「逆旅(仮の宿)」に過ぎない。

・・・実は、“If real is what you can feel, smell, taste and see, then 'real' is simply electrical signals interpreted by your brain.”というセリフは、仏教だと思う人もいると思います。

般若心経。
『舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界乃至無意識界。』
→「シャーリプトラよ、聴きなさい。我々の世界は空である。生まれることも、滅することも、汚れも、清らもなく、減ったり増えたりすることもない。空においては、身体の存在も、その感覚も、その表象も、その意志も、その認識もない。目・耳・鼻・舌も、身体も、それを感じる心もなく、色や形・音・匂い・味・触感といった感覚も、そして、意識も存在しない。目に見える世界から、目に見えない世界まで無なのだ。」

・・・般若心経とも似ています。極端に言うと意識ってのは、とどのつまりが電気信号の集まりではないのか、ということです。老荘思想というのは、仏教と早い段階で親和性があったのは、こういうところからも伺えます。ここは、東洋思想において一貫した部分でもあります。

参照:Wikipedia 般若心経
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5%E5%BF%83%E7%B5%8C

五蘊
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%98%8A

Zhuangzi
「一若志,無聽之以耳而聽之以心,無聽之以心而聽之以氣。聽止於耳、心止於符。氣也者、虚而待物者也。唯道集虚。虚者、心齋也。』(人間世 第四)
→「志を一つにせよ。声を聴くのに耳ではなく心をもってせよ。そして、心ではなく氣をもってせよ。耳は聴くに留まり、心は知るに留まる。氣はすべてのものを受け入れることができる。雑念がないがゆえに道は虚にのみ集まる。虚心でいるがゆえに、心斎といえるのだ。」

で、次はこのシーン。
spoon boy matrix.
Spoon boy: Do not try and bend the spoon. That's impossible. Instead only try to realize the truth.(スプーンを曲げようとしてはいけない。そんなことはできないよ。代わりに真実に気づこうとしなきゃ。)
Neo: What truth?(真実?)
Spoon boy: There is no spoon.(スプーンなんてない)
Neo: There is no spoon?(スプーンがない?)
Spoon boy: Then you'll see that it is not the spoon that bends, it is only yourself.(そうすれば、スプーンが曲がるんじゃなくて、自分自身が曲がるということに気づく。)

参照:There is no spoon
https://www.youtube.com/watch?v=ZaJPNrf1DPY

李小龍。
“Empty your mind, be formless, shapeless - like water. Now you put water into a cup, it becomes the cup, you put water into a bottle, it becomes the bottle, you put it in a teapot, it becomes the teapot. Now water can flow or it can crash. Be water, my friend.”
(心を虚しく、型にとらわれず、形のない水のようになりなさい。コップに水を注いだら、水はコップの形になる。瓶に水を注いだら、水は瓶の形になる。急須に注げば急須になる。水は流れることもはじけることもできる。友よ、水になりなさい。)

参照:Bruce Lee - Be Water
https://www.youtube.com/watch?v=MT_nuwm252I
言っていることの本質はブルース・リーと同じです。

spoon boy matrix.
この少年が言っているのはおそらく『無門関』にもあるこの二つのお話。

無門関 岩波文庫ワイド版。
「六祖、因風揚刹幡。有二僧、對論。一云、幡動。一云、風動。往復曾未契理。祖云、不是風動、不是幡動、仁者心動。二僧悚然。」
→六祖慧能の話。門前の旗が風になびいていた。それについて、二人の僧がいて、議論をしている。
一人は「あれは旗が動くのだ。」といい、
一人は、「あれは風が動かしているのだ。」という。
双方譲らず、結論をみない。そこで六祖慧能が言った。
「これは風が動かしてるのではない。旗が動いているのではない。おまえたちの心が動いているのだ。」
二人の僧は慄然とした。

「世尊昔在靈山會上、拈花示衆。是時衆皆黙然、惟迦葉尊者破顔微笑。世尊云、吾有正法眼藏、涅槃妙心、實相無相、微妙法門、不立文字、教外別傳、付囑摩訶迦葉。」
→その昔、お釈迦様が、霊鷲山(りょうじゅせん)という山で説法をなさっていたときのこと。お釈迦様はおもむろに一本の花を手にとって、それをねじり、無言のまま弟子たちに示した。わけの分からない弟子たちは黙ったままだったが、たった一人、迦葉尊者が、にっこりと微笑んだ。お釈迦様はおっしゃった。「わたしは、正法眼藏、涅槃妙心、實相無相、微妙法門というものがあります、それらと不立文字、教外別傳として、この摩訶迦葉に託すこととします。」

話の流れは「非風非幡(ひふうひばん)」。捻ったスプーンを手渡すのは「拈華微笑(ねんげみしょう)」です。このあたりから、『Matrix』に中国仏教の代表格、禅仏教が混ざってきます。第2作や第3作になると、日本人や中国人、インド人がネオの手助けをしますが、一作目ではっきりと仏教的な観念を示すのが、このスプーン曲げの少年です。

the matrix morpheus.
“Unfortunately, no one can be told what the Matrix is. You have to see it for yourself.”
→残念ながら、何者もマトリックスとは何であるかを教えることはできない。君は君自身でその正体を見つけなければならない。

モーフィアスが言ったこのセリフが、言葉では伝わらない「道」の概念とのみならず、「不立文字」、「教外別傳」としての手法に似てきます。中国の思想のベースから、インドの思想にも裾野が広がっていくわけです。

『タオ自然学』 F・カプラ著 工作舎
なんでこんなことになるのか、というのは、『マトリックス』の元ネタのうちの一つ、F・カプラの『タオ自然学』に詳しいです。内容はいずれ。

今日はこの辺で。


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